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銀閣寺・岡崎

平安時代からの紅葉の名所・永観堂禅林寺

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永観堂禅林寺は、歌人・藤原関雄が真紹僧都(しんしょうそうず)に別荘を寄進したのがはじまり。仁寿3年(853)、弘法大師の弟子だった真紹僧都(しんしょうそうず)がその場所に真言密教のお寺を創建します。

貞観5年(863)、清和天皇から「禅林寺」という額をいただいたことで禅林寺という名前に。

承暦年間(1077~81)に、永観律師(ようかんりっし)が念仏道場として再興。永観堂という別名は、永観律師の永観を「えいかん」と読み替えて名づけられました。

鎌倉時代のはじめ、静遍僧都(じょうへんそうず)により浄土宗のお寺にかわります。

紅葉の名所として知られる永観堂禅林寺には「もみじの永観堂」という別名も。境内に植えられた3000本のカエデは、藤原関雄が詠んだ「古今和歌集」の歌の中にも「岩垣(いわがき)もみじ」という名で登場します。

放生池(ほうじょういけ)を中心とした池泉回遊式庭園は、紅葉スポットとして特に人気です。放生池の北側には、与謝野晶子の碑が建っています。

永観堂禅林寺の本尊は、平安後期~鎌倉初期に造られた阿弥陀如来立像です。永観律師が本尊を大日如来から変えました。高さは77cm。左肩越しにふりかえっているように見えるため「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。

永保2年(1082)、永観が50歳の時、阿弥陀像のまわりを歩きながら念仏を唱えていました。すると、祀られていたはずの阿弥陀像が下りてきて、永観を先導するように歩きながら、念仏を唱え始めました。あっけにとられた永観が立ち尽くすと、阿弥陀像は振り返りながら「永観遅し」と言ったそうです。「みかえり阿弥陀」は、このお姿を残したいと永観が阿弥陀像にお願いしたことから作られました。

永観堂禅林寺の伽藍は、東山に支えられるかのように建っています。

古方丈には、永観堂七不思議の1つである「抜け雀」の欄干。釈迦三尊のおさめられる方丈(釈迦堂)には、長谷川等伯作と伝えられる「竹虎図」が飾られています。

大正元年(1912)に再建された御影堂には、静遍が浄土宗に宗派替えするきっかけになった法然上人の御影を安置。

「みかえり阿弥陀」が収められている本堂・阿弥陀堂は、慶長12年(1607)に再建されました。

阿弥陀堂と開山堂をつなぐ臥龍廊は、山の斜面に沿うように造られ、龍が動いてるような形の階段です。古方丈から開山堂までは通路でつながっていますが、多宝塔には古方丈の手前の大玄関まで戻ってから向かいましょう。

昭和3年(1928)に建てられた多宝塔は境内の最も高い場所にあり、京都の町を一望することができます。

正式名称
禅林寺(ぜんりんじ)
拝観・開館時間
9:00~17:00 (受付終了:16:00)
住所
京都市左京区永観堂町48
TEL
075-761-0007
拝観料
大人  600円
高校生 400円
中学生 400円
小学生 400円

寺宝展開催中:
大人 1,000円
高校生 400円
中学生 400円
小学生 400円 

夜間拝観 600円
休日・休館
無休
交通案内
地下鉄東西線  蹴上駅下車     徒歩約15分
市バス 南禅寺・永観堂道バス停下車 徒歩約3分

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